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よくある質問と答え

この項目では癒しの聖会に行ったのに、はっきり示された期日までに、祈りの効果が目にわかる形で示されなかった場合の注意点を書きます。

これらを知らないために、藁をもつかむ思いで祈り、献金したのに結果が出なかったことでがっかりし、神を信じられなくなり、信仰から離れてゆく危険性があります。サタンは期待をさせておいてがっかりさせ、信仰をなくさせるのが目的です。
以下の項目について、よく、考慮の上、本当に神からだと確信したら信仰の行動をとりましょう

癒しも奇跡も現実にあります。奇跡は一瞬・短期間で起こるのでわかりますが、癒しは徐々に目に見えない形で始まっているのに、本人が気がつかず、とり逃してしまうことがあります。
ですから、慎重に事態をよく吟味してください。

誰がいつどういう形で癒されるかは神様にしかわかりません。心をこめて祈り続けたのに少しずつしか癒されない場合もあれば、ただ単に聖会に誘われて行ってすぐよくなる場合もあります
人と比較しないようにしましょう


薬も否定してはいけません。薬のついては医師とよく相談してください
献金について
 約束献金とか、先取りの献金という名目で多額な献金をする人を集める場合があります。それらの場合、具体的に日にちや実行される内容がはっきりと示されますが、その日になっても約束されたことが実行されない場合、その献金の方法は神様からの要求ではなく聖会を開いてゆくための費用や、呼んだゲストスピーカーの費用に必要なものであったと考えてもいいでしょう
ゲストスピーカーが、何十人、何百人の多くの人の願いを全部読んで(しかも外国語で  書かれてあります、もちろん霊の目でその内容を把握される方はいます)それらひとつずつを祈っているのではなく、一度にすませている場合もあります
聖書には、献金袋に名前を書き願いを書くこと要求されていません。病いを癒すためにイエス様がお金を要求した箇所もありません。癒しや奇跡をお金と交換するということは聖書的ではありません。それならご利益信仰になります。癒しや奇跡をお金で買うのは聖書的ではありません  
献金はあくまでも、感謝して伝道・宣教活動のために集められるものです。

集会で献金を癒しや奇跡があったのを見て、興奮状態で、その場の感情、勢いで出してはいけません
感情がさめると多く出したことに後悔し、聖会に行くには多額の金額がいると思い込んでしまいます
イエス様のお話を聞き、祈りに行くことに多額の費用がかかるのも聖書的ではありません。イエス様は貧しい人たちのためにも来られました。自分が喜んで出せる分で十分です。金額で癒しや奇跡が決まるのではありません

よくマタイの13の8から献金が30・60・100倍になると宣言されますが、あの箇所は献金がそのままその倍数だけ増えてゆくのではありません。そう解釈するとあなたはすでに憶万長者になっていなければなりません。
この箇所は福音が増えるという意味で書いてあるところで、お金が増えるという説明ではありません

什一献金は教会運営にとっては必要でしょうが、イエス様が新約聖書で語られたのはマルコ23の23、ルカ18の12の二箇所ですが、教会のために払いなさいとはありません。パリサイ人の言葉として書かれてあるものです。

またある人たちは、ある物質に対して特別な祈りをささげ、これをもっていると食べ物に 一生困らないといいますが、これは、これはご利益宗教・偶像礼拝の類です。詩篇37の25には「私が若かった時にも、また年老いた今でも、正しい者が見捨てられたり、その子孫が食べ物を乞うのを見たことがない」とあります。またヨハネ黙示録3ではフィラデルフィアの教会に対して10「全世界に来ようとしている試練の時にはあなたを守ろう」と書いてあります

経済的繁栄について献金と結びつけて考えるのはよくありません。祝福として経済だけが与えられるものではありません。また大きな富を見せびらかし、証しのように語るのは誇るのは拝金主義です
人にはそれぞれ祝福が与えられています。セレブな生活が献金の結果の経済の祝福とは限りません
  
預言について
 預言を否定しませんが注意は必要です
 預言はイエス様が任命した預言者(個人の将来を預言する)と、聖霊に満たされた人の言う2種類の預言の計3つがあります。どれも励まし、慰め、勇気、愛を与えるものです。注意しなければいけないのは、世界的預言者であっても、事実が、一部あたったとしていても、それをすぐに鵜呑みにして、実行してはいけません。

特に人生を左右する決断は聖書的判断の元に神とよく祈り、一致したものだけを受け 取る事です。あとは忘れてください。また祈っても、具体的指示のない場合も忘れてください。色々の神の器と呼ばれる人のところに行って矛盾する預言をもらい混乱することは避けてください。混乱するなら聞かなかったほうがよいことがたくさんあります。聞くなら一人の人の預言に集中して預言と実現の変化に集中してください。
神様はあなたに語りたいのです。あなたが熱心に祈れば、必ず、他の人を通してではなくあなた自身に語られます。一度や二度ではありません。必ず、具体的なことも語られますから、信仰が成長していったら、預言者を追っかけないで、自分自身で神と語り合って下さい。神は待っておられます。
あなたが神に従順であり、それが御心ならば祈りは遠からず、聞かれます。足元の一歩から遠くの将来まで一貫した召命が見られます

霊の距離
霊には距離はありません。地球の反対側にも届きます。コンクリートの中も通ります。よく祈られた人のとりなしの祈りのハンカチにも聖霊様は宿られ、癒しはおきます
天使には羽があり優雅に飛んでゆくイメージがありますが天使のスピードは光の速度です

とりなしの祈りと心を合わせる祈り、異言の祈り
どれもよく相手と打ち合わせをして祈りが聞かれるまで続ける覚悟が必要です。
異言の祈りはサタンも偽りの異言を持ってくるので大勢の集会での異言の祈りは注意しなければいけません。また異言で祈らなくても、癒しや奇跡は起こります。異言が出ないことで不信仰になってはいけません


のろいについて
不幸な事が起きたり、続くと、のろいを宣言する人がいますが、新約の時代にあってイエス様によってのろいは解かれています(ガラテヤ3の13・エレミヤ31の29
もしそれでものろいを言われ続けたらどのようにしてそれを解くのか、いつのろいが解けたのがわかるのかをその人に質問して見てください
のろいの強調は悪魔意識の拡大です。神の国はすでに到来しています。祝福は入っています。心の一新が必要です(ローマ12の2)

神の器と呼ばれる人について
世界的に有名で本当にすばらしい方は実際にたくさんいらっしゃいます
けれども彼らがイエス様で神そものではありません。あくまでも人間なのです
その方を尊敬する事は違います。神の器の人を必要以上に持ち上げてはいけません



悪霊追い出しはショーではありません
興味本位見ることでも、危険です。基本的には悪霊追い出しは聖書でイエス様がされているように本当に信仰のある人と数人で個別の部屋でやるものです。
映画で作られたシーンのようには悪霊追い出しはしないことが基本です。
自分の守りが甘いと追い出された悪霊はあなたにつくかも知れないのです。決して見世物にされてはいけません



罪の告白
大勢に前で告白しなさいとは聖書にありません。究極的には指導者の前でもです。告白は神にあなたが直接するもので人に聞かせるものではありません
聞いた人にも大変な負担になったり、思わず別の人に言ってしまう危険性もあります。
また告白した罪を犯した人という潜入感で見られることがあります
告白した本人が後で人に言ったことを後悔する気持ちが出て来ることがあります。告白はあなたが神に直接言うものです。


言葉は慎重に
あなたが口に出して言う言葉をきいているのは4人います
神とあなた自身と天使とサタンです。大切なことは霊の中で神に話してください。サタンはあなたの言葉を聴いて妨害しようと狙っています。


悪魔意識について
悪魔はいますが、何でも悪魔と結びつけたり、聖書に書かれている以上に恐れてはいけません
大事なことは、主はすでに悪魔に勝利していること、すでに神の国にいること、神の憐れみと愛の方がはるかに大きなことであり守られていることを確信していることです
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